現場最前線への参加

 前向きに過ごせた大学勤務、18年間の大学病院ペインクリニック科での勤務は生き甲斐そのものでした。その証拠に在勤18年の間中、休暇を取ったことは一度もありませんでした。スタッフが休みを取ることが多くなる夏休みなど、よく看護師さんから「先生は夏休み取らないんですか?」と聞かれることがあり、「僕は大学で仕事をしていることが気分転換みたいなものなので、とても勿体なくて休めません」などと返事をして呆れられたものですが、でもこれは格好付けて言っている訳ではなく本当にそのような気持ちだったのです。(念のため・・・)

 そんな理想的な環境と時間も、定年という辛い?現実が立ちはだかり大学を去ることになります。定年を宣告された時の驚きは今でも忘れられません。まさに「晴天の霹靂」そのもので、そもそも自分の中では仕事に夢中になり過ぎていて、定年などという単語は意識の片隅にも存在しなかったことと、選りによって大学の人事部が私の定年を見落としていたという大チョンボがあって結果的に私に儚いぬか喜びをプレゼントしてくれていたのでした。 しかし儚い夢はあくまでも夢、定年という現実に引き戻され、これには一時的に結構めげました。しかし元来の打たれ強さ(何の事は無い、ずっと打たれっ放しだったので慣れっこだっただけ・・・)のお陰で何とか立ち直り、それまでも休日のみ診療していた現在の院で本格的に地域医療の末席に参加した次第です。

 その様なことから自分のライフワークとして生きてきた大学ペインクリニック科の治療スタイルを基盤に、「緩和医療に貢献する」を院是に掲げ、その後の診療を続けてまいりました。それは長年参加してきたペインクリニック科での治療と附属病院病棟緩和ケアチームのメンバーとして参加してきたがん性疼痛に対する治療を、地元でも行っていきたい・・・という強い思いがあったからです。(やはり1542名の恩師の無念は忘れられません。)

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